テキトー母さんにもなれなかった話

ココロの美術館

『食前の祈り』シャルダン(1744年)

「あぁ、私はこういう暮らしやこういう時間を大事にしたいんだ」

そんな思いを自分が持っている、

けれど、そこにフタをして感じないようにするほど今の私は心の余裕を失っている…。

ものの数秒で私にそれを認めさせた衝撃の問題作だ(笑)

時代も文化も宗教も全部すっ飛ばして、ただ毎日繰り返される「日常の一コマ」の普遍的な尊さを、ここまで真正面から見せつけられたら、降参するしかないじゃないか。

この絵から滲み出る「日常」の圧倒的なリアルに、私はただひれ伏した。

そしてそれは、確実に、私が仕事を辞めることを考え始めるきっかけへとつながっていった。

ちょうどその頃、仕事が忙しくて心が荒んでいた。

子どもたちに「早く〇〇して」ばかり言っていた。

学童のお迎えは一番最後。値引きシールの張られたお惣菜をレンジでチン。

決してそれでいいとは思っていなかったけど、それ以上の感情は感じないようにしていた。

そうしないと、毎日をやり過ごせないから。

どう生きたいとか、何がしたいとか、考えようとも思わなかった。

あの頃の私は、生きることに精一杯だった。

子どもたちには申し訳ないけど仕方ない、と自分に言い聞かせて。

今の穏やかな日々は気に入っている。

けれど、『キングダム』のように敵の強さがインフレを起こし、気付けば自分も巻き込まれ、がむしゃらに戦いまくっていたあの頃も、私にとっては紛れもないリアルな”生”だった。

まぁ、今だからそう思えるというだけの話だ。

(人間なんて、けっこうテキトーな生き物だ。)

この絵が描かれたロココ時代の絵は、パリピがひらひら、ふわふわしている”痛み止め”みたいだと私は思っていたし、そのイメージは今も概ね変わっていない。

そういうのがいい時もあるだろう。

でもこれは、ロココではありながらも、もっと根本的と言うか、天才外科医がちゃちゃっとやっちゃったみたいな、そういうブレイクスルーを起こしてくれた、ある意味重くて、思い出深い一枚なのである。

この絵を、かの女帝エカテリーナ2世も眺めたのだろうか。

彼女はこの絵を見て、何を思ったんだろう。

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