もうずいぶん前の話だが、『真似をする女』の被害にあったことがある。
私の持ち物や好きだと話題にしたものをことごとく真似され、いつの間にかその真似女の前では脊髄反射で身構えるようになっていたが、そんな私の苦悩など真似女は気付くはずもなく、隣で呑気にマヌカハニーを舐めている。
表面上は事を荒立てないのが、オトナの対応というもの。
周りの人は「きっとあなたが素敵だから親しくなりたいのよ。」と言ってはくれたが、せっかく頑張って創った自分の世界を奪われそうで不快だったし、何度も続くので正直言って怖かった。
この”真似女に大事なモノが奪われる恐怖”は私の精神を大いに蝕み、ついには、「親友が真似女と一緒に階段の上から私を見下して笑っている」というシャレにならない悪夢にうなされるまでに。
しかも卑屈な性格の私は、「あなたよりも私のほうが相応しいのよ。」とディスられているような気さえして、何よりそれが許せなかった。
もはや病気か(笑)
せめてもの抵抗とばかりに”自分がない哀れな女よ”と心の中でディスり倒すのが私の日課となっていた。
表面上は事を荒立てないのが、オトナの対応というもの。
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ココロの世界では、「相手は自分の鏡」という見方をする、と本に書いてあった。
―は?あのキモイ女が私の鏡?!
おいおい、それって私がキモイって言いたいの?
「ちょっと外に出やがれ」とその本の著者(私のカウンセリングのお師匠様)をしばいたかどうかはご想像におまかせするが、たしかに今冷静になって振り返ると、真似女に抱いた”自分がない”という嫌悪感は、もとはと言えば自分自身に向けていたものだった。
素の自分では愛されないと怯え、外側に立派な何かを纏ううちに、素の自分が何なのか分からなくなる―。
それを隠すために私は必死に”素敵な自分”を創ろうとしたが、どんなに小細工しても肝心の中身が無いことは自分が一番よく知っていた。
「あなたよりも私のほうが相応しい」と言われている感覚は、そうやって苦労して創りあげた自分像が、実は無理に背伸びをしたものだという自覚の裏返し。
どうやら真似女は非常に優秀な鏡であったらしい。
ココロのど真ん中をえぐられ、瀕死の重傷を負う。
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実はこの時、私はもう一つの考えにもやもやしていた。
それは、「真似女は私と仲良くなりたいと思っている」「真似女は私の鏡」、だから、『真似女を嫌ってはいけない』という禁止。
私は真似女に本当にうんざりしていたが、聖人君子のような私さんでいたかった(要は、誰にでもいい顔をしたかった)ために、真似女に限らずどんな人に対してもニコニコと当たりの良い人を、必死に演じていたのだ。
自分で言うのもなんだが、私は多少変わっているぐらいの人ならそこそこ上手くやっていく自信はあるし、事実、ストレスを溜めながらもなんとかやってこれていた。
ところが真似女は、その私のキャパをはるかに超える逸材だった。
それほどに、私は真似女のあらゆる点がイヤだった。←「それぜんぶ鏡」というツッコミは私が爆死するので、ダメ、ゼッタイ。(笑)
― 人を嫌ってもいい。というか、イヤなものはイヤだという自分の素直な気持ちを、私はもっと尊重してもいい。
そんなことを、私はコイツから学んだ。
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私は相変わらず、素敵な私さんになりたくなる時がある。
けれど以前と違うのは、全然素敵じゃない私さんが無理をして背伸びするサマを楽しむ”心の余裕”のようなものがある点だ。
この前、高級フレンチへ行く機会があった。
デザートはパリ店と同じチョコレートムース。
「素晴らしいですわ」と優雅に頂いたが、ぶっちゃけ、私にはこってりすぎてやっとの思いでたいらげたのだった。
― 蒲焼さん太郎なら無限で食えるのに。
と内心思ったことは、秘密である。
表面上は事を荒立てないのが、オトナの対応なのだ。



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