私のこと

あかり

カウンセラー/cartomancer

かつての私は、
「光」という言葉が嫌いでした。

その否定しようのない正義は
私にはきれい過ぎたのです。

泥の中、絶望の中で、
世界のすべてを呪いながら
自分さえも信じない。

そんな風に生きてきました。

でも、その泥の底には、
自分でも忘れていた
『誰かを愛したかった純粋な祈り』が
横たわっていました。

こんな私だからこそ、
闇を背負って歩いてきた
あなたのすべてを、
私は最大級の敬意を持って
祝福したいのです。

ここで出会えたあなたと、
静かな光を分かち合えたら幸せです。

今の私が見ている世界

ようこそ、おいでくださいました。ここへ来てくださって嬉しいです。
皆さまの人生に、一つでも多くの幸せが降り注ぎますようにとの願いを込めて、このブログサイトを始めました。

現在、夫と二人の子どもと一緒に、平凡な暮らしをしています。

頬に当たる朝日の温かさに感動したり、花壇の花に見惚れたり、湯舟に浸かって「あ~~」と声を出したり、たまのお出かけで大好きな美術館を訪れたり。

特別すごい何かがあるわけではありませんが、ありがたいことに、「たしかに今、私は生きている」という喜びを丁寧に味わいながら、穏やかな心で日々を過ごすことができています。

もちろん、イライラしたりめそめそしたくなることもたくさんありますよ。

理不尽な出来事に腹を立てて暴言を吐きたくなることだってあります。

けれど、そんなネガティブな瞬間すらも、私にとっては、人間として生きているからこそ経験できる大切な一瞬一瞬なのです。

私は今、日常の中にある小さな光を見つけながら生きています。でも、最初からそうだったわけではありません。

光という綺麗事への拒絶反応

かつての私にとって、光や愛の力を帯びた言葉は、救いになるどころか、自分とは無縁の、どこか白々しいきれいごとに聞こえていました。

闇の中に一人でいることの正しさに、私は必死にしがみついていたのです。

「世界に一つだけの花」という歌を知っていますか?
私はあの歌が大嫌いでした。

ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン

ありのままの自分でいさせてもらえない世界に放り込まれ、屈辱と理不尽を噛み潰しながら生きてきた私にとって、世間が持て囃すその歌は、「何を今さら」という怒りを湧き上がらせるものでした。

もともと特別なオンリーワン?

そんな風に私を温かく受け止めてくれた人なんか、今までいませんでしたけど?
なのに、オンリーワンだという自信を持てと?

えっ???意味がわからない。
”せめてナンバーワンになって存在を認めてもらいたい”という必死の願いさえも否定するの?

こんな生ぬるい言葉で救われる人なんて、そもそも不幸でもなんでもないと思いますが?
まさかその程度で、世間の人たちは生きづらいだのしんどいだの言ってんの?

本当は、
助けて欲しかった
優しくしてほしかった
気持ちを尊重してほしかった
甘えさせてほしかった
仲間に入れてほしかった
そのままでいいよと言ってほしかった

全部、全部、我慢してきた。
全部、全部、我慢して、
相手が正しいと思うようにしてきた。

誰にも頼らず、
弱みを見せず、
いつも涼しい顔をして、
自分だけを頼りに上手くやってきた。

そうしてほしかったんでしょ?
世間様は私にそうすることを望んでいたんでしょ?
そうやって今まで散々私を否定してきたくせに、
今度は自己否定して生きることまでも私から奪おうとするの?

―笑わせんじゃねえ。

私は孤独に苦しみ続けることで、そんな生き方を私に強いてきた世界に、神様に、復讐をしているつもりだったのかも知れません。

今の私には、当時の自分にやってあげたいことがあります。
それは、もがき苦しむ自分の背中をぎゅーっと抱きしめること。

どんなに最悪でも、
どんなに最低でも、
どんなにみじめでも…、

最後の最後、
私は絶対にあなたを受け止める。

セーフティネット。

これが、私が欲しかったモノ。
そしてこれこそが、ずっと自分には「ない」と思ってきたモノ。

私を守ってくれる人なんか誰もいない。
私が誰にも心を開かなかったのは、それを証明するためだったのかも知れません。
誰にも守らせてなるものかという”意地”が、すべてを突っぱねていたのです。
あの時までは。

転換 ~ヘドロとの対話と別れ~

かつての私が「自分には価値がない」という苦しみと向き合っていた頃のこと。

ごまかさず、目を逸らさず、自分の価値の無さとその苦しみの沼の奥深くに潜り込んでいきました。

そして、沼の底に到達したのでしょうか、私は何か大きなエネルギーの塊のような物が「これ以上抑えきれない」とばかりにお腹の底から上昇してくる感覚を得ました。

―塊を吐き出したいけど、喉が詰まって息苦しい!でも、もう止められない!

出産のような、産みの苦しみのようなものを経て、私はついに”それ”を吐き出しました。

憑き物が落ちたとはこのことかと思うほど、身体とこころがスッキリと軽くなっているのがわかりました。

私は、”それ”を見つめました。

ヘドロのような、どろどろ、ぶよぶよの塊でした。うずくまっている瀕死の生き物のようにも見えました。

それは、”物”なのか”何かの存在”なのかはわかりません。けれど今思い返しても不思議なのですが、私は”それ”が、今まで私を一所懸命に守ってくれていた自分の一部のような気がして、とても尊い物のように感じたのです。

―お前、ずっと私を守ってくれていたの?

塊は何も言いません。

―私が心の奥に押しやってきた負のエネルギーを、私の代わりに一手に引き受けてくれていたの?

塊は何も言わないけれど、イヤな仕事を黙って引き受けて結局疲れ果てるという、いつかの自分の姿とも重なって、その塊を私は大事に大事に扱ってあげなくてはいけないと思いました。

でも、このままここに放置するわけにはいかない。私は、龍神様にお願いをして塊を天に返してもらうことにしました。

間もなく龍神様が来てくれました。

塊との別れ際、私は、その塊に対して最大級の感謝と寂しさを感じていました。

塊を抱えてギューッとしてから、龍神様に託しました。

そうして、見えなくなるまで見送りました。

この塊のお話は、すべて私の頭の中での空想ですが、私にとっては忘れられない出来事になっています。

本当ならば、少しずつ小出しに吐き出すべき『毒』や『痛み』を、

私は外に漏らさないようにと、すべて自分の中にため込んでいたのだと思います。

それがいつの間にか私の中でヘドロのようになっていったのかも知れません。

なぜ私はヘドロをため込んだのか?

それは、誰かをがっかりさせたくなかったり、喜ばせたかったりしたかったからだと思います。

そして、自分がわがままを言ったり何かを拒否するようなネガティブなエネルギーを発してしまうと、世界を壊してしまうと恐れたからかも知れません。

ヘドロの塊は、そういう私自身のもっとも純粋な愛が出発点で、その愛こそがヘドロの核であると確信しました。

だから、ヘドロも毒も痛みも悲しみも苦しみも闇も、すべて愛が転じたもので、忌み嫌うべき物ではない…。

今はそう思うのですが、その苦しみのさなかにいる時にはそうは思えないのもまた、仕方のないことですね。

ある時、お腹の底から吐き出した真っ黒な塊。それは、世界を壊さないようにと自分が飲み込み続けてきた、不器用すぎる愛の形でした。

このブログサイトで伝えたい事

私は、誰かの苦しみを和らげようとしたり、「前向きに生きよう」と促したりしたいわけではありません。

苦しみをまだ抱え続けるのか、それとも降ろすのか。 それを決められるのは、本人にしかできない大切な聖域だからです。

泥にまみれ、みっともなくのた打ち回る時間さえも、愛すべき人生の大切な一幕。 だからこそ私は、一本のろうそくのように、ただそこに「在る」ということを選んでいます。

この場所では、日々の生活の中で見つけた小さな光を、言葉や写真にして集めていきます。

暗闇のなか、ろうそくにかざした自分の手のひらが赤く透けるのを見つめるような……。

そんな静かな時間を、あなたと分かち合えることを願っています。