自分が自分にドSだった件

ココロの美術館

これは、『幼子イエスの礼拝』という。

生まれたばかりのイエスを、マリア、ヨセフ、二人の天使が囲んでいる。

17世紀に、ホントホルストという人が描いたそうだ。

最初、私はこの絵をちらりと見ただけですぐに次へ行こうとした。

人が群がっていてよく見えず、興味が湧かなかったから。

すると、背後からおばちゃんたちのうっとりした会話が、不意に耳に飛び込んできた。

「まぁ…あの天使、なんていいお顔なのかしら。ねぇ。」
「なんとも言えない表情ねぇ…」

イエスの光に照らされた二人の天使の柔らかな顔。

―た、たしかに…

そして、薄暗い背景にかすかに浮かぶヨセフの深い慈愛に満ちた眼差し。

私の目は釘付けになった。

そして、こう確信した。

この赤ちゃんがイエスだから特別なのではない、と。

赤ちゃんは、見る者の愛の感情を引き出し、思わず顔をほころばせる不思議な力を持っている。

この時私は、自分の出産で感じたとても繊細な感情と、この絵に漂う空気は同じだと感じていた。

次の瞬間、私は自分もまた赤ちゃんだったことに気が付いた。

―私も、生まれた時にこんな目で見つめられたのかな…?

『私は愛されていない』という呪いが静かに流れ落ちていった。

展覧会のがやがやの中で、なぜあのおばちゃんたちの声がはっきりと聞こえたのかは、今でも謎である。

カウンセラーの勉強をしていた頃、自分が生まれた意味を思い出すワークというのをやったことがある。

私たちは皆、神様の仕事の一部を引き受けるために生まれてきたらしい。

その仕事はとても困難で苦しみを伴うものなので、魂の指導係たちはやめておけと引き留めたにもかかわらず、「やります!」と振り切って生まれてきたのが、私たちなのだそうだ。

そういう意味では、十字架にかけられたイエスと私たちは、根っこの部分では同じなのかも知れない。

残念ながら私は自分の役割を思い出せなかったが(←思い出せなかったんかーい汗)、一つだけわかったことがある。

それは、人生をハードモードに設定したのは他でもない自分だったということ。

私は振り上げたこぶしをへなへなと下ろした。

―ヘタこいた…orz

さて、あなたが制止を振り切ってまで生まれてきたのは、どんな仕事を引き受けたからだろう?

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