スピリチュアル界隈では、
「真実の愛」に目覚めることが魂の成長課題だ
というメッセージをよく見聞きしますが、
それが何を意味しているのか、
ピンとこない人がいても
何ら不思議なことではありません。
実を言うと私は、
ツインレイ概念の情報に触れるまで、
愛について深く考えたことが
ほとんどありませんでした。
しかし、
ツインレイについて色々と調べるうちに、
今まで私が「愛」だと思っていたものの中に、
一見それっぽく見えるけれども、
実は「愛」ではないものが
混ざっているということを知りました。
それは、
私が相手に対して向けるものに限らず、
相手が私に対して向ける場合も同じです。
なので、
(本当は違うのに)愛だと思って
相手に押し付けてしまったことや、
(本当は違うのに)相手の愛だと思って、
受け取らなきゃいけないと無理してしまったこと、
また、
本心ではそれを受け取りきれない・受けとめたくないと
思った自分自身に対して、
なんて薄情なヤツだと責めることなどを
愛とは何かを知らなかったがために、
何十年と続けてしまいました。
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もし自分に向けられているものや、
自分が相手に向けようとしているものが
愛なのかそうでないのかを
見分けることができていたなら、
今までの恋愛や人間関係を
もっとスムーズに運べていたかも知れません。
それどころか、
無価値観や孤独感、罪悪感などに
ここまで苦しむこともなかったのかも知れません。

愛かそうでないかを
自分で区別できるようになることは、
自分の魂の声に従って
生きられるようになることと同義です。
愛か否かを見分ける方法はとても簡単です。
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苦しいのなら、それは愛ではない
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ということ。
たとえば
何かをしてあげたのに相手から感謝されず
もやもやしてしまった場合や、
本当はイヤだけど
断ったら嫌われるのではという不安や
失望されたくないという恐れから
頼まれ事を渋々引き受けるといった場合です。
また、
最初のうちは好意でやっていたけれど
周囲からそれを当たり前のように扱われ、
徐々に、搾取されているような気分になり、
いつも自分ばかり損していると
感じる場合なども当てはまります。
(最初はたしかに愛だったかも知れませんが、
後半は、もう愛とは言えませんよね。)
これらは、表面上、
愛を与える行為と同じように見えますが、
与える側がどんどん疲弊・枯渇していきます。
これは、なにも特別なことではなく、
職場、学校、家庭など
普段のあらゆる場面でよく起きることです。
周りを見てよく気が付く人、
親切な人、
優しい人、
気遣いができる人、
謙虚で控えめに振舞う人、
礼儀正しい人などが陥りやすいのですが、
心当たりのある人は
けっこういるのではないでしょうか。
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あなたの魂からただあふれ出てくるものが愛です。
特別な条件や反応や見返りは何も必要ありません。
相手がどう受け取ってどう反応するかで
自分の幸せが決まるのなら、
それは愛ではない可能性が高いでしょう。
また義務感からそれをしたり、
やらざるをえない状況に置かれているのなら、
それは愛ではなく犠牲です。
(ただし、自分軸で選び取ることが
できているのなら、愛と言えます)
ですから、
自分がイヤだと思うことを自分に無理強いしないことは、
自分への愛の第一歩となります。
断る勇気を持つことが大事だと言われているのはこのためです。
ぜひ覚えておいてほしい大切なことなので、
もう一度書いておきますね。
苦しいのなら、
それは愛ではありません。
あなたの本当の愛で
世界を満たしていけますように。
