真実の愛とは何?

スピリチュアル界隈では、
「真実の愛」に目覚めることが魂の成長課題だ
というメッセージをよく見聞きしますが、

それが何を意味しているのか、
ピンとこない人がいても
何ら不思議なことではありません。

実を言うと私は、
ツインレイ概念の情報に触れるまで、

愛について深く考えたことが
ほとんどありませんでした。

しかし、
ツインレイについて色々と調べるうちに、

今まで私が「愛」だと思っていたものの中に、
一見それっぽく見えるけれども、

実は「愛」ではないものが
混ざっているということを知りました。

それは、

私が相手に対して向けるものに限らず、
相手が私に対して向ける場合も同じです。

なので、
(本当は違うのに)愛だと思って
相手に押し付けてしまったことや、

(本当は違うのに)相手の愛だと思って、
受け取らなきゃいけないと無理してしまったこと、

また、

本心ではそれを受け取りきれない・受けとめたくないと
思った自分自身に対して、

なんて薄情なヤツだと責めることなどを
愛とは何かを知らなかったがために、
何十年と続けてしまいました。

✼✼✼

もし自分に向けられているものや、
自分が相手に向けようとしているものが

愛なのかそうでないのかを
見分けることができていたなら、

今までの恋愛や人間関係を
もっとスムーズに運べていたかも知れません。

それどころか、

無価値観や孤独感、罪悪感などに
ここまで苦しむこともなかったのかも知れません。

愛かそうでないかを
自分で区別できるようになることは、

自分の魂の声に従って
生きられるようになることと同義です。

愛か否かを見分ける方法はとても簡単です。

….*…..*…..*…..*…..*…..*…..*…..*…..
 苦しいのなら、それは愛ではない
….*…..*…..*…..*…..*…..*…..*…..*…..

ということ。

たとえば
何かをしてあげたのに相手から感謝されず
もやもやしてしまった場合や、

本当はイヤだけど
断ったら嫌われるのではという不安や
失望されたくないという恐れから
頼まれ事を渋々引き受けるといった場合です。

また、
最初のうちは好意でやっていたけれど
周囲からそれを当たり前のように扱われ、

徐々に、搾取されているような気分になり、
いつも自分ばかり損していると
感じる場合なども当てはまります。

(最初はたしかに愛だったかも知れませんが、
後半は、もう愛とは言えませんよね。)

これらは、表面上、
愛を与える行為と同じように見えますが、
与える側がどんどん疲弊・枯渇していきます。

これは、なにも特別なことではなく、
職場、学校、家庭など
普段のあらゆる場面でよく起きることです。

周りを見てよく気が付く人、
親切な人、
優しい人、
気遣いができる人、
謙虚で控えめに振舞う人、
礼儀正しい人などが陥りやすいのですが、

心当たりのある人は
けっこういるのではないでしょうか。

✼✼✼

あなたの魂からただあふれ出てくるものが愛です。
特別な条件や反応や見返りは何も必要ありません。

相手がどう受け取ってどう反応するかで
自分の幸せが決まるのなら、
それは愛ではない可能性が高いでしょう。

また義務感からそれをしたり、
やらざるをえない状況に置かれているのなら、
それは愛ではなく犠牲です。

(ただし、自分軸で選び取ることが
できているのなら、愛と言えます)

ですから、

自分がイヤだと思うことを自分に無理強いしないことは、
自分への愛の第一歩となります。

断る勇気を持つことが大事だと言われているのはこのためです。

ぜひ覚えておいてほしい大切なことなので、
もう一度書いておきますね。

苦しいのなら、
それは愛ではありません。

あなたの本当の愛で
世界を満たしていけますように。

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