不完全な自分を愛する

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私はまだ足りない。
もっと成長しなければ〇〇にふさわしくない。
不完全な自分では、嫌われる。
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みなさんは、
こんな風に考えたことはないでしょうか?

私は
恋愛でも仕事でも、どんなことでも、

自分のことを
未熟で、世間知らずで、
ズレたことばかりしてしまう人間だと思い、

そんな不完全な人間であることを
恥ずかしく思っていました

だから、
それがバレないように
必死に取り繕って生きていたわけです。

サイレント期間のチェイサーは
そんな「自分の不完全さ」と
向き合うことが求められます。

私を含め、チェイサーというのは
プライドが高い面があり、

自分の”できなさ”をカモフラージュするため、
虚勢を張り、必死に取り繕ってきたという人も

決して少なくないのではないかと思います。

自分の不完全さを認め、
そんな自分を許し受け入れていくなど
(まして他人に晒すなど)、

想像しただけでも
「そんなことなら〇んだほうがまし!」と
言いたくなるほど

ひどい自己嫌悪と自己否定に
襲われるのではないでしょうか。

けれど、
自らの不完全さと直面するというプロセスを
経験させられる真意というのは、

私たちが自分自身を責めるためではなく
増してやごまかしのスキルを磨くためでもなく

「完全とは何か」を学び
本当の自己肯定感を取り戻すためだと
私は思っています。

✼✼✼

みなさんは
「完全」という言葉に
どのようなイメージを
持っているでしょうか?

一般的なイメージとして、
あらゆる要素が揃っていて、
傷や欠けのない整った状態だと
思う人は多いでしょう。

けれど
ツインレイの学びでの「完全」は
まったく異なる捉え方をします。

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涙も、痛みも、未熟さも、
すべてを含んだあなたが完全。

失敗や葛藤のプロセスもまた、
完璧な「魂の成長の一部」。

愛を渇望する苦しみさえ、
完全な学びの一幕。
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つまり、
「完全である」とは、

不完全であること
そのこと自体を含めた
あなたの今この瞬間のすべて

ということです。

ツインレイの旅で
私が学んだことは、

不完全さを抱えていても、
それが「完全である」ということ。

どんな自分も
「それでいい」と受け止めること。

✼✼✼

欠けや弱さのある自分では愛されない…

この恐れが強いために、
私たちは、

自分の欠けや弱さを無くそう、
埋めよう、と必死になります。

そこには、

”欠けや弱さはダメなこと”
という無意識のジャッジが入っていることに
あなたは気が付いているでしょうか?

いつどこで、
そのジャッジがあなたに刷り込まれたのでしょう

私たち人間には
欠けたところがあるのが普通です。
弱い部分があるのも普通です。

欠けていても、
弱くても、
未熟でも、
失敗ばかりしても、

そのことと、

あなたの存在価値や
愛される/愛されないは
本来、
まったく別次元の話。

✼✼✼

「不完全でも、それでよい」と
心から思えること。

不完全さや闇を
自分の中から無くすのではなく
抱えられるようになること。

これが真の自己肯定感です。

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これが私、
これも私、
それでいい。
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と自分のすべてを
受け入れられたとき、

内側に静かな安らぎが生まれます。

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あなたは、不完全さを含めて、
完全な存在です

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欠けているように見えるものも、
あなたの美しさの一部です

゚ *+: 。:+* ゚
あなたの旅のすべてが、
宇宙にとって必要で完璧です

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